鹿島アントラーズの秋田豊のすべて(背番号やプレースタイルなど)
スポンサードリンク

「鹿島アントラーズの秋田豊」と言えばヘディングというイメージがないですか?

実際に対人の強さを発揮して、ボールを跳ね返したりセットプレーで多くの得点をヘディングでとっています。

J1では391試合で23得点。日本代表では44試合で4得点を決めています。

秋田豊といえば2001年のチャンピオンシップ

フランスW杯での、アルゼンチンのバティストゥータやクロアチアのスーケルを止めるシーンは、多くの人の記憶に残っているのではないかと思います。

私が秋田のことを思い浮かべるときに真っ先に頭の中に出てくるのは、2001年のジュビロとのチャンピオンシップでのゴールです。

今では語り草となっていますが、当時見ていた時には「神様」と思ったほどです。

ハッシー
神様、仏様、秋田様!

なぜって、チャンピオンシップ第1戦で鹿島アントラーズは10人になってしまい、そんな絶体絶命の場面で得点をしてくれたからです。

ジュビロ磐田に先制をされて、さらに鹿島アントラーズに退場者が出てしまい10人での戦いに。防戦一方となりさらに中山に追加点を決められて0-2。

3点目を取られたら2戦目が残っているとはいえ絶望的な状況でした。

そんな中セットプレーから秋田豊が見事なヘディングシュートを決めてくれたんです。

そこから鹿島アントラーズは1人少ないながらも勢いを取り戻し、2点目のゴールを平瀬がゲット。

1戦目を引き分けにしたことで2戦目の延長Vゴールへとつながったわけです。

まさに秋田豊様(笑)のゴールがなければ、2001年のJリーグチャンピオンにはなれなかったでしょう。

チームが劣勢時にゴールを決めてくれたので「秋田は鹿島の救世主」そのものでした。

ハッシー
サッカーは例え10人でも何が起こるか分からない。だから面白い。

鹿島アントラーズを退団後は、名古屋グランパスと京都サンガでプレーして現役生活を終えています。

秋田豊の背番号は?

秋田豊の背番号は最初の2年間は「2」。

1995年に鹿島アントラーズに加入したジョルジーニョに2番の背番号を譲り、そこから9年間の背番号は「3」を背負ってプレーしました。

鹿島アントラーズ退団後は、名古屋グランパスに3年。そして京都サンガで1年過ごした秋田。名古屋と京都時代の背番号は「2」番をつけてプレー。

そして背番号「2」を最後に現役を引退しています。秋田豊にとって、背番号は2番と3番のどちらが思い出深いのでしょうね.....。

ハッシー
私の予想では2番です。

引退後は解説者として活躍

引退後の秋田は、監督やサッカー解説としてテレビにも多く出演しています。解説も分かりやすく見ていて気持ちがいいです。

アントラーズの解説のときには若干鹿島アントラーズ寄りの解説ですが、アントラーズファンからしたらうれしい限りです。

だって元鹿島アントラーズの選手がアントラーズの試合を解説するときに相手チーム寄りだったら嫌じゃないですか?

ハッシー
若干じゃなくて完全にアントラーズ寄りの解説でも問題なし!

「プロなら公平にしろ!」という方もいるとは思いますが、解説者だって人間ですからね(笑)

秋田のようなセンターバックに憧れのある方は、この本が参考になるかも。

スポンサードリンク

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事