
サッカー選手「本田泰人」は帝京高校から本田技研へ。そこから鹿島アントラーズにやってきました。
166cmと小さい体ながら、守備力に定評のあるボランチ。
本田泰人はどのようなサッカー選手だったのでしょうか。
本田泰人のプレースタイルとキャプテンシー
本田泰人は、相手のキーマンとなる選手を徹底的にマークすることで有名な選手でした。
ビスマルクがヴェルディにいたときに「一番嫌な選手は鹿島アントラーズの本田」と答えたエピソードは有名ですね。

鹿島アントラーズで大活躍して、その後日本代表にも選ばれるほど本田泰人のプレーは認められていました。
鹿島アントラーズではキャプテンとしても活躍して、多くのタイトル獲得にも貢献しています。
あの柳沢敦や小笠原満男が本田泰人のリーダーシップを絶賛するほど、本田のキャプテンシーは光るものがありました。
本田泰人はJリーグ通算で328試合出場していますが、得点したのはわずかに4得点。いかに守備に重きを置いていたかが分かります。
ちなみに全得点4点のうち3点が1995年にとっています。しかも3試合連続ゴール。こんなこともあるんですね。
鹿島アントラーズでは2006年まで現役サッカー選手としてプレー。
そして2006年に鹿島アントラーズ一筋で現役生活にピリオドを打ちました。

本田泰人は引退後タレントに転身
引退後の本田は、コーチや監督などの仕事には就かず、タレントとして第2の人生を歩き始めます。
引退してから数年後、本田泰人は高岡早紀の妹「高岡由美子」と結婚。
本田泰人&高岡由美子夫妻で一緒にテレビに出る姿はおなじみでしたね。
でもアントラーズでの本田を知ってるだけに、奥さんに叱られたり番組でいじられる姿を見るのは少し悲しかったのも事実です。
