
ガンバ大阪からやってきた新井場徹。両サイドバックをこなしますが、鹿島アントラーズでは主に左サイドバックとして活躍しました。
鋭い突破で持ち上がり正確なクロスを武器にしていた新井場。日本代表候補にも選出された経験があります。
ここではかつて鹿島アントラーズの不動の左サイドバックとして活躍した「新井場徹」を紹介します。
新井場徹は点をとれるサイドバック
新井場徹は鹿島アントラーズのサイドバックでは珍しく、バンバンシュートを放っていました。
左サイドでボールを受けると中に切れ込んできてシュートというのは、新井場の得意なプレーの1つだったんです。
相手選手も嫌だったでしょうね。新井場がボールを持ったらサイドラインをドリブル突破してクロスもあるし、中に切れ込んできてのシュートもあるわけですから。
シュートを打つプレーは鹿島アントラーズでもしていましたが、ガンバ大阪時代にはもっとしていました。
2000年にはサイドバックでありながら、24試合に出場して7ゴールも決めています。このゴールのほとんどが、中に切れ込んでのミドルシュートです。

新井場はDFというポジションですが、攻撃も魅力的な選手だったんです。
新井場はまさかの黄金世代
新井場徹は1979年生まれです。実は小笠原・曽ヶ端・中田・本山などと同期だったんです。俗にいう「黄金世代」ってやつです。
ガンバでは稲本や橋本と同期になります。1999年のワールドユースには出場していませんが、1979年組ってホントに豪華メンバー勢ぞろいですね。

新井場は2004年から2012年までの9シーズンを鹿島アントラーズで過ごしました。もちろん3連覇達成時のメンバーでもあります。
鹿島アントラーズを退団後はセレッソ大阪へ移籍。
実は鹿島にいるときには、奥さんと子供は大阪にいたので単身赴任だったんです。セレッソ大阪に移籍したことで、10年ぶりに家族水入らずの生活も手に入れました。
引退後の新井場はなにしてるの?
セレッソで2年間プレーしたのちに、現役を引退。引退後の2015年には、鹿島アントラーズ功労賞・Jリーグ功労賞も受賞しています。
そして現在ではサッカー選手の代理人として活躍しています。ガンバの井手口の海外移籍は、新井場が行っていたんですよ。
選手時代とはまた違った難しさがあるとは思いますが、選手の気持ちが分かる代理人ってなんかいいですよね。
新井場には日本を代表するような代理人にまで上り詰めて欲しいですね。
