
鹿児島実業を高校サッカー優勝に導いた平瀬智行。
平瀬は高校時代から注目されていたストライカーでした。
ここでは元鹿島アントラーズ「平瀬智行」を紹介します。
平瀬智行にとって柳沢敦は大きなライバル
平瀬智行は1996年に鹿島アントラーズに入団しました。
平瀬の同期は、柳沢や池内など。特に柳沢は同じポジション(FW)なのでライバルとして意識していたことでしょう。
高校時代から平瀬智行は注目の選手でしたが、平瀬以上に注目されていた選手が柳沢敦だったんです。
しかも平瀬と柳沢は同じ鹿島アントラーズに入団。
柳沢敦はルーキーイヤーから活躍したので、平瀬は歯がゆい思いをしていたでしょうね。
シドニーオリンピック予選で大活躍
平瀬智行が輝いたのは何といっても、シドニーオリンピック予選です。
鹿島アントラーズではあまり出番のなかった平瀬が、オリンピック代表として大ブレイクしたんです(平瀬の実力を見抜いたトルシエもさすが!)。
予選では平瀬・柳沢の2トップが多かったのですが、柳沢がなかなか点が取れない中、ゴールを量産していったのは平瀬智行でした。
なんと12試合で17得点という、とてつもない記録を作って見せたんです。
この時の平瀬の活躍はすさまじく、突如として点を取り出したのでびっくりしたのを覚えています。

ですがシドニーオリンピック本選では、柳沢と高原につぐ3番目という位置で、試合になかなか出場できずに終わってしまいました。
2001年鹿島アントラーズJリーグ優勝の立役者
シドニー五輪が終わった2000年の鹿島アントラーズでは、3冠達成に大きく貢献してくれました。
そして、平瀬智行といえば2001年のジュビロ磐田とのチャンピオンシップ。
退場者が出て劣勢になっていたアントラーズ。そこで同点ゴールを決めたのが平瀬です。これが2戦目の小笠原Vゴールにつながるわけです。
平瀬がいなければ2001年に優勝することはできなかったでしょうね。それくらい大きな仕事をしてくれました。
平瀬智行はまだまだ現役
鹿島アントラーズを退団してからは、横浜FM・神戸・仙台と多くのチームで活躍します。2010年に引退してからは、解説者として活躍しています。
と思ったら、2013年からブランニュー弘前で現役復帰を果たしました。まだまだ現役バリバリでプレーを続ける平瀬智行。
カズ・ゴンは50歳で現役を続けています。平瀬はまだ40歳。あと10年はできそうですね。
