
こんにちは。
ハッシー(@shika_blog)です。
今から約20年前のこと。鹿島アントラーズとジュビロ磐田はライバルとしてしのぎを削っていました。
当時のことをちょっと振り返ってみましょう。
目次
当時の鹿島アントラーズ
当時のアントラーズに所属していた主な選手は以下の通りです。
- レオナルド
- ジョルジーニョ
- マジーニョ
- ビスマルク
- 長谷川
- 黒崎
- 柳沢
- 平瀬
- 鈴木隆行
- 秋田
- 相馬
- 名良橋
- 小笠原
- 中田浩二
- 本山
この面子ヤバくないですか?
ブラジル人は全員元ブラジル代表か現役ブラジル代表です。
4バックのうちの3人は日本代表のレギュラーです。さらに長谷川や柳沢などの点取り屋たち。そこに79年組の黄金世代が加わります。
間違いなく歴代アントラーズの最強メンバーが揃っています。
当時のジュビロ磐田
当時のジュビロ磐田の主な選手はこんな感じ。
- スキラッチ
- ドゥンガ
- ゴン中山
- 高原
- 服部
- 藤田
- 奥
- 名波
- 福西
ジュビロ磐田は多くの選手が日本代表でも活躍しました。
そしてスキラッチはW杯イタリア大会の得点王&MVP、ドゥンガは現役ブラジル代表のキャプテンです。
特に2002年のジュビロは、Jリーグの歴史上もっとも強かったのではないかと言う人もいるほど、手が付けられないチームでした。
どっちが強かったの?
ではどっちが強かったのか。まずはタイトルを多く獲得したのはどちらのチームか見てみましょう。
期間は、両者がライバル関係にあり、毎年優勝争いを繰り広げていた1996年から2002年までとします。
タイトル数で比較
鹿島アントラーズ
- 1996年のJリーグ
- 1997年のナビスコカップ
- 1997年の天皇杯
- 1998年のJリーグ
- 2000年のJリーグ
- 2000年のナビスコカップ
- 2000年の天皇杯
- 2001年のJリーグ
- 2002年のナビスコカップ
ジュビロ磐田
- 1997年のJリーグ
- 1998年のナビスコカップ
- 1999年のJリーグ
- 1999年のアジアクラブ選手権
- 2002年のJリーグ
タイトル数では鹿島アントラーズが9個、ジュビロ磐田が5個で鹿島アントラーズの勝利です。
勝ち点で比較
続いて勝ち点で比較していきます。ちなみにJリーグだけです。
鹿島アントラーズ
- 1996年 → 66
- 1997年 → 68
- 1998年 → 74
- 1999年 → 40
- 2000年 → 55
- 2001年 → 54
- 2002年 → 53
ジュビロ磐田
- 1996年 → 62
- 1997年 → 66
- 1998年 → 78
- 1999年 → 49
- 2000年 → 55
- 2001年 → 71
- 2002年 → 71
7年間のアントラーズの合計勝ち点は410、対してジュビロは452で勝ち点勝負はジュビロ磐田の勝利。
結局どっちが強いの?
タイトル数ではアントラーズ、勝ち点ではジュビロ。なので結局のところどっちも強かったというしかありません。
もっと言えば、プレッシャーがそれほどかからない試合はジュビロが強くて、タイトルがかかった試合などプレッシャーがかかる試合ではアントラーズが強いともいえます。
いちばん分かりやすいのは2001年。年間勝ち点ではジュビロが17もリードしてるのに、チャンピオンシップでジュビロを破ったアントラーズが優勝しました。

ライバル関係にあった7年間で、鹿島アントラーズとジュビロ磐田がタイトルをかけて決勝で戦ったのは4回あります。
- 1997年のJリーグ
- 1997年のナビスコカップ
- 1998年のJリーグ
- 2001年のJリーグ
この4回では鹿島アントラーズの3勝1敗。1997年のJリーグだけはジュビロに負けてしまいました。惜しかった~
