Jリーグ元年に鹿島が強かった理由は本田技研にあり!?
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こんにちは。
ハッシー(@shika_blog)です。

忘れもしない1993年のJリーグ元年。サントリーシリーズ(ファーストステージ)を制し優勝したのは鹿島アントラーズでした。

最後の最後に滑り込みでJリーグ入りしたアントラーズは、まったく期待されていなく最下位候補の筆頭だったんです。

Jリーグ元年のアントラーズはジーコやアルシンドを擁してはいましたが、それでも勝てないと思われていたんです。

しかしフタを開けてみれば優勝。鹿島アントラーズが優勝できた要因は、本田技研というサッカーチームがカギを握っていたんです。

本田技研ってなに?

そもそも本田技研(ほんだぎけん)ってなに?ってことですが、本田技研とは1971年創部の本田技研工業サッカー部のことです。

日本のプロリーグ(Jリーグ)が始まるときまで、トップカテゴリに居続けた強豪チームでした。

ハッシー
本田技研という名前ですが自動車メーカーのホンダのことです

1993年のJリーグ開幕時には本拠地を浦和に移し、Jリーグへ参加する検討もされましたが、本業第一主義の社風がありJリーグ入りは見送られています。

本田技研から鹿島入りした選手たち

Jリーグに入っていてもおかしくないほど強かった本田技研。なので当然、本田技研所属の選手たちの中にはJリーグを戦うチームへ移籍する選手も多くいました。

本田技研から鹿島アントラーズへ移籍してきた選手は以下の6人です。

この6人に加え、鹿島アントラーズの初代監督である宮本征勝、ヘッドコーチの関塚隆も移籍してきました。

特に長谷川・黒崎・本田・内藤は初期のアントラーズにはなくてはならない存在で、大活躍してくれました。

もしも本田技研がJリーグに加入していたら、これらの強力な選手たちは鹿島に来ていなかったわけです。

それどころか、鹿島アントラーズがオリジナル10入りできなかった可能性もあります。

そう考えると、本田技研がJリーグに入らなかったおかげで、1993年のJリーグ元年のサントリーシリーズで優勝できたともいえます。

現在の本田技研

強豪チームだった本田技研工業サッカー部ですが、現在はサッカー活動を続けているのか気になりませんか?

安心してください。続けています。

チーム名を本田技研工業フットボールクラブ(愛称はHondaFC)と変えて、JFLで戦い続けています。

JFLとはアマチュアリーグの最高峰です。プロリーグはJ1・J2・J3とあり、JFLはその下という位置づけになります。

J2が1999年に始まったときには、JFL所属の多くのチームがJ2に行きましたが、本田技研はプロにはならずアマチュアでいることを選択しました。

JFLの中で本田技研がどのくらい強いのかというと・・・

めちゃくちゃ強いです。強すぎます。

2016年~2018年まで本田技研はJFLで3連覇しています。

特に2018年は年間勝ち点79をとりました。試合数は30試合です。25勝1敗4分で得失点差は+51という圧倒的強さで優勝したんです。

もはやJFLに敵はいません。プロになっちゃえばいいのになぁと思いますが、アマチュアでやるというのが本田技研の思想なんでしょうね。

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