
初期の鹿島アントラーズの得点源「黒崎久志」。
ここでは点取り屋黒崎について紹介します。
黒崎久志.....いやいや比差支でしょ?
「黒崎久志」という字を見て、違和感を覚えたあなたはさすがです!
えっ?「黒崎比差支」じゃないの?と思ったあなたのことです。
実は私も、いつの頃からか漢字が久志に変わっていたので「なんで?」と思っていた1人です。
調べてみると本名は「黒崎久志」で1992年~1999年の登録名が「黒崎比差支」だったみたいです。
それを2000年に本名である「黒崎久志」に変えたというだけだったんです。
なぜ登録名を本名にしなかったのは分かりませんが、何か黒崎なりの考えがあったのかもしれません。字画の問題とか・・・
なにはともあれ、アントラーズに在籍していたときには「黒崎比差支」でやっていたので、私からすればこちらの方がしっくりきます。

圧倒的なゴールセンス
黒崎は高校時代から注目を浴びていた点取り屋でした。185cmという恵まれた体格をもつ、まれにみる点取り屋だったんです。
しかもフィジカルも強いしシュート力もあるし、何よりヘディングがかなり強いのは黒崎の大きな武器。
覚えているのはクロスボールをジャンプしないでヘディングでゴールを決めたこと。あのときは、かなりの衝撃でした。

初期の頃の鹿島アントラーズを支えてくれたのはもちろん、日本代表としても大活躍でした。
びっくりしたのは日本代表としては1989年にデビューしていてゴールも決めていたことです。
そんなに若い時から代表だったとは恥ずかしながら知りませんでした。
日本代表で印象的なのはやっぱり、1995年のダイナスティカップ。この大会で黒崎は得点王に輝いています。このときの黒崎はキレッキレでしたからね。
Jリーグでは、鹿島・京都・神戸・新潟・大宮でプレーした黒崎。
引退後はアントラーズのユースコーチや、アルビレックス新潟の監督としてその手腕をいかんなく発揮してくれました。
追記
