
日本でプロリーグが始まる前の1990年にフジタ(現ベルマーレ)に加入した名良橋晃。
そして1997年に日本代表入りを見据えて鹿島アントラーズに加入しました。
ここでは日本代表としてワールドカップにも出場した名良橋晃を紹介します。
名良橋晃の師匠はジョルジーニョ!?
体は170cmと大きくはありませんが、スピードがあり右サイドバックでドリブル突破を繰り返しました。
同じポジションのジョルジーニョが鹿島にいたことで、かなり多くのものを盗んだらしいです。名良橋自身もジョルジーニョを師と仰いでいます。
それもあり鹿島アントラーズに入団した1年目から、名良橋の活躍もありナビスコカップと天皇杯のタイトルを獲得。
そして翌年の1998年にはJリーグのタイトル獲得にも、名良橋は大きく貢献してくれました。

名良橋晃はワールドカップ日本人初ゴールの称号を逃した!?
日本代表に選出されて、フランスワールドカップにも秋田・相馬と共に出場しました。
当時の日本代表の4バックは、秋田・相馬・名良橋・井原と鹿島アントラーズの3選手が入っていたんです。
ここまで鹿島の選手を使うなら井原より奥野の方が、コンビネーションはいいと思うのですが・・・

ところでワールドカップで日本人初ゴールは誰かご存知ですか?
答えはジャマイカ戦でゴールを決めたゴンこと中山雅史です。でも実は、名良橋晃が最初のゴールになっていてもおかしくなかったんです。
ジャマイカ戦で、裏に抜け出した名良橋のところにロングボールが入ってきます。
ピンポイントで名良橋に合い、そのままボレーシュート。キーパーは反応できずに見送るだけ。しかし、無情にもボールはポストを叩きます。
これ、めちゃめちゃ惜しかったですよね~。私も見ていて思わず悲鳴を上げてしまったほどです。
これが決まっていれば日本人初ゴールは名良橋だったのに.......。いまさら言っても仕方ありませんけどね。

名良橋晃は現在なにしてるの?
鹿島アントラーズには2006年まで在籍して、多くのタイトル獲得に一役買ってくれました。
チーム内ではムードメーカーでもあり、とても明るいキャラクターでも知られていますね。
鹿島アントラーズから移籍の際に「自分がつけていた背番号2番は篤人にあげてくれ」と言った話は有名。
同じ右サイドバックの名良橋晃と内田篤人にこのようなエピソードがあったんですね。
鹿島アントラーズ退団後は湘南ベルマーレで1シーズン過ごした後に、引退しました。J1通算310試合、代表キャップは38試合という見事な結果を残してくれました。
サッカー選手引退後は、指導者・解説として現在も活躍しています。

病気という噂は本当なの?
インターネットで検索すると「名良橋晃 病気」とか「名良橋晃 ガン」とかいうキーワードが出てきます。これは穏やかじゃありません!
なぜ病気という噂があるかというと、名良橋が激やせしていることが原因みたいです。
現在の名良橋晃はこんな感じです。
確かに痩せてます。隣の元ゴールキーパー小島と比べるとよくわかりますね。
でもこれは単なる噂みたいですよ。もともと名良橋は食が細くて、現役時代は仕事と割り切って食べていたらしいんです。
そしてサッカーをやめてからは食べる必要がないので、次第に痩せていったということみたいです。
名良橋は引退後も、多くの引退試合にも参加しているし健康面は問題なさそうですね!
