
バルセロナオリンピックが開催された1992年。岩崎恭子さんの「今まで生きてきた中で一番幸せ」という言葉が流行語になった年です。
1992年は、鹿島アントラーズというサッカーチームが産声を上げた年でもあります。
ここでは鹿島アントラーズとともに、チームに加わった選手たちを紹介していきます。懐かしい選手たちがたくさんいますよ。
目次
- 1 ジーコをはじめ1992年に加入した鹿島アントラーズの選手
- 1.1 ジーコ
- 1.2 サントス
- 1.3 古川昌明
- 1.4 本田泰人
- 1.5 長谷川祥之
- 1.6 黒崎久志
- 1.7 石井正忠
- 1.8 眞中靖夫
- 1.9 佐藤洋平
- 1.10 小澤英明
- 1.11 千葉修
- 1.12 杉山誠
- 1.13 大野俊三
- 1.14 大場健史
- 1.15 内藤就行
- 1.16 賀谷英司
- 1.17 入井和久
- 1.18 根岸誠一
- 1.19 赤澤昌美
- 1.20 奥友敏朗
- 1.21 川地貴裕
- 1.22 藤本義一
- 1.23 世良田顕一
- 1.24 増田忠俊
- 1.25 吉田康弘
- 1.26 古賀聡
- 1.27 手倉森誠
- 1.28 カルロス
- 1.29 へジス
- 1.30 ミルトン
- 1.31 城祐万
- 1.32 平野雅義
- 1.33 福井勲
- 1.34 江本城幸
- 1.35 手倉森浩
- 1.36 垣田健
- 1.37 山本勝博
- 1.38 岡本賢二
- 1.39 武田宏治
- 2 1992年はレジェンド達が加入した年
ジーコをはじめ1992年に加入した鹿島アントラーズの選手
ジーコ
やっぱり鹿島アントラーズといえばジーコです。ここまでのチームにする礎を築いてくれたので、感謝しかありません。1993年開幕戦のハットトリックはもはや伝説です
サントス
年齢を感じさせない動きで、チームの勝利に貢献してくれました。鹿島アントラーズと清水エスパルスで活躍した鉄人サッカー選手です。
古川昌明
鹿島アントラーズの初代ゴールキーパーです。日本代表経験もあり、引退後はアントラーズのコーチとしても働いてくれました。
本田泰人
すっぽんディフェンスといえば本田です。ボランチとして、相手チームの核となる選手のマークを得意としてました。キャプテンとしても長く鹿島アントラーズを支えてくれた大きな功労者です。
長谷川祥之
鹿島アントラーズの点取り屋といえば長谷川です。アントラーズでは89点とっており、これはいまだに破られていない鹿島アントラーズのチーム記録です。ヘディングでゴールを決めるのが多い選手でしたね。
黒崎久志
黒崎の名前は「久志」が本名で、Jリーグの登録名は「比差支」です。鹿島アントラーズではもちろん、日本代表でも大活躍してくれました。
石井正忠
主にボランチや左サイドバックとして活躍しました。1993年の七夕優勝の試合では大事な先制ミドルシュートを決めています。鹿島アントラーズの監督としてもJリーグ優勝・クラブワールドカップ準優勝を果たしています。
眞中靖夫
おちゃらけキャラが印象的です。1996年の優勝が決まる試合では2ゴールを決めて勝利に貢献。セレッソ時代には3分間でハットトリックというJリーグ記録も作っています。
佐藤洋平
古川と激しいポジション争いを演じたゴールキーパーです。チャンピオンシップでゴン中山にボールを奪われて失点してしまったシーンがどうしても蘇ってきてしまいます。
小澤英明
18年もの間、鹿島アントラーズに所属。控えゴールキーパーではありましたが、小沢が控えにいると安心感がありました。
千葉修
杉山誠
1993年の鹿島アントラーズの守備を固めてくれました。
大野俊三
アフロヘアが印象的なディフェンダー。ドーハの悲劇のときの日本代表メンバーでもあります。
大場健史
サッカー実況の人が「大場がオーバーラップしてきた」というダジャレを言っていました。
内藤就行
ボランチとして、相手の目を摘み取ってくれました。
賀谷英司
多くの試合に出場して、鹿島アントラーズの勝利に貢献してくれました。
入井和久
当時、石井と入井どっちがどっち?と思っていたのを思い出します。
根岸誠一
ケガがなければと思わざるを得ません。
赤澤昌美
奥友敏朗
川地貴裕
藤本義一
世良田顕一
増田忠俊
ドリブラーとして日本代表にもなりました。イケメン選手でもありましたが、プレースタイルでも見るものを魅了してくれました。鹿島アントラーズの元祖ドリブラーと言えば増田忠俊です。
吉田康弘
ジーコに「後継者」と言わしめた逸材。鹿島アントラーズや清水エスパルスで活躍しました。
古賀聡
1993年のVゴールの印象が強烈に残っています。
手倉森誠
引退後はベガルタ仙台の監督や日本代表のコーチとして活躍。ただ選手時代は、パチンコに明け暮れるような選手でよくジーコに叱られていたらしいです。
カルロス
フラメンゴからジーコが引っ張ってきました。
へジス
フラメンゴからジーコが引っ張ってきました。
ミルトン
1950年代生まれは、ジーコとミルトンだけ。
城祐万
平野雅義
福井勲
江本城幸
手倉森浩
手倉森誠は双子の兄。
垣田健
ユースからトップ昇格した垣田裕暉のお父さん。
山本勝博
岡本賢二
武田宏治

1992年はレジェンド達が加入した年
鹿島アントラーズとして試合を戦い始めた記念すべき1992年。当然ながらたくさんの選手たちが鹿島アントラーズに入団しています。
ジーコ・本田・黒崎・長谷川・石井などなど、初期の鹿島アントラーズを支えてくれたレジェンド達の名前がずらりと並びます。
ベガルタの監督で有名な手倉森も、1992年当時は鹿島アントラーズの選手だったんですね。正直、知りませんでした.........。
ここから鹿島アントラーズの歴史が始まっていったと考えると、感慨深いものがあります。
今の鹿島アントラーズがあるのは先代たちのおかげでもあるわけです。
もちろん1992年に加入した中で、今は誰一人として現役選手はいません。でもこの人たちの功績は大きいと思います。
海外に比べて歴史が浅いクラブの「鹿島アントラーズ」ですが、こうしてみると鹿島アントラーズにも濃い歴史があることに気付かされます。
